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2011年2月に作成された記事

2011年2月28日 (月)

楽健法双六が付録になった雑誌

「からだ・こころうるおう」女性のための ナチュラル・ケア というムックがクレヨンハウスから出版されました。

巻末に楽健法双六が折り込み付録になっています。 amazonで購入

出版社 クーヨン 定価 1575円

Kuyon

今日は楽健寺の天然酵母パンの営業日です。

今朝下山したのは01:30でした。

楽健寺へ着いたのは2時15分、家内は12時半頃に就眠したとかで、眠ったかと思うと起こされてやや寝ぼけ気分でパン工房へ。

配達が終わって駅前の本屋へこの本があるかなと行ってみたらなくて、リンカラン別冊6があったので2冊購入。

帰山したのは8時半過ぎ。郵便受けにこの本が届いていました。

東光寺へはまとめて取り寄せるつもりですが、急ぐ方は書店でどうぞ。

2011年2月27日 (日)

Lingkaran リンカラン別冊6

リンカラン別冊6が刊行されて、楽健法の取材記事が掲載されています。

この号は健康特集、「自分でケアして、私らしく生きる」という特集です。

リンカランの創刊号に楽健法の特集が掲載されたのですがその記事の再録です。

大判のムック本、6ページにわたって楽健法が掲載されています。過去にいろんな雑誌の取材があり、掲載されましたが、このリンカランが一番反響が大きかったです。

創刊号がほしくても買えなかった人がいましたが、この号を購入してください。

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amazonで購入

2011年2月25日 (金)

元興寺所蔵の須田剋太展

 ならまちというのは旧くは奈良町なのか寧楽町なのか調べたことはないが、ならまちとひらなが表記になっているまちである。

 この町の中心地に元興寺があって、ときどきならまちを訪れながら、いつも寺には入らないでいたが、今回、須田剋太の個展があるというので、昨日展覧会に行ってきた。須田剋太画伯は、司馬遼太郎の街道を行くの挿絵を描いていたので具象の画家と思われているふしがあるが、連載以前には主として抽象画を描いていて具象画はあまり描いていなかったと思う。

 私は23歳のときから額縁の製造をやっていて、須田剋太のアトリエへ、大きな作品の仮縁をとりつけにときどき行っていたので、須田剋太さんには懇意にしていただいた。

 初対面のときに、私の仕事ぶりを傍で見ながら、「君はただの額縁屋ではないね、なにをしている人かね」などと聞かれて、私が詩を書いていることとか、芝居をやっているということを知られてから、気兼ねなく話せる関係になった。そんなことから、当時編集していた詩の雑誌「人間」に須田剋太特集をやったりして原稿もいただいた。

その時に須田剋太さんが略歴を長い画用紙に横書きで独特の筆致で書いて送ってくださって、この手書きの略歴はいまも大切にしまっている。

 何度目かの訪問のときに、好きな絵があったらあげるよ、などといわれて、ガッシュの作品数点や、色紙に描かれた具象画などもくださった。

 いまもそのときに頂いたガッシュが、パン工房に額縁に入れて無造作にかけてあるが、いつかささめやゆきさんがパン工房に来られて、すばらしい作品ですね、などと感嘆しているのを聞いて、見直したことがある。

 そのときいただいた内のガッシュの一枚はややサイズが小さかったので、壁にピンで留めてあったら碁打ちになった息子が、まだ幼稚園のころで、ハサミでサインのところを切り取ってしまったりしたこともあった。

 今回の元興寺の個展を見たいとおもったのは、須田剋太画伯が元興寺に寄贈した作品の額装をしたことがあって、当時、元興寺の建物のどれかの解体工事かなにかで、余った1000年以上も昔の廃材を使って、額縁にしてほしいという依頼があって、元興寺へ廃材を引き取りになんどか行ったなどという、思い出がからんでいるからであった。

 廃材で作るといっても、あまり大きな材が残っていなくて、薄っぺらい木っ端みたいな木ぎればかりだったが何点か作ったのであった。

 昨日その時に作った数点と、須田縁と呼んでいた額縁数点に再会してきた。

 須田剋太さんの今回のメインとも言うべき衝立にいれた作品は、そのほとばしってくるエネルギーに圧倒される。書かれている文字が、文字を越えて絵になっているばかりか、見つめていると異界へと誘われそうになる力がある。

 最後にお目にかかったのは八戸ノ里の駅前で、電車から改札を出てこられたときであった。司馬遼太郎さんのお宅へ行くところだということで、いつものように、自動車屋さんの着るつなぎの作業服の真新しいのを着ていられた。

 「最近は見かけないがどうしてるんだ」というので、取引していた額縁屋とはあまり汚いやり方をするので、手を切ったのですというと、「そりゃいい、あいつは河内者だから、君のようなひとが付き合える相手じゃないよ。よかったね、しっかりやってください」と去って行かれた。

 この展覧会は2月27日明後日でおわりだが、このブログを読んで間に合うひとは是非一見してこられたらとお勧めする次第です。

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 左の建物が会場になっている。

 

2011年2月22日 (火)

消された投稿 yahooてっぱん評

    指定された情報はすでに削除されているか、まだ提供を開始していません。
                      Yahoo!テレビ
上の文字は、今朝8時過ぎに、yahooのテレビ番組欄「てっぱん」評に書き込んだ僕の投稿が掲載されたのでブックマークしておいたのだが、今夜見ると、上記の文字が書かれたページがでてきて、投稿が削除されたのがわかる。
まだ提供を開始していないなんてことはなく、掲載されてさっそく数名が賛成をしていた書き込みである。
テレビの批評を書き込むページがyahooにあって、厳しい批評は消されるという投稿を、OKwaveで読んだので試してみたら、やはり削除したりするのは本当のようである。
思いつきのしっちゃかめっちゃかの脚本で、作者が未熟としか言いようがない番組で役者が気の毒である。もっと実力のある書き手はいっぱいいるはずだ。
こんな作品をとりあげるNHKの見識を疑う。視聴料をとっているのだから、大人の仕事を提供しろ、という意味のことを書いたのであった。★一つの評価。
消されると言うことが本当だったので、これにもびっくり。
情報をどこかで目を光らせて操作している奴がいるとは、いやな時代ですね。

2011年2月20日 (日)

ドラマのなかの兵隊

 さきほどテレビをつけたら、日本の軍隊が戦闘している場面だった。セパードをリヤカーに乗せて引っ張っている若い兵隊もいる。番組表を見ると、さよならアルマという番組の最終近い場面だった。このドラマの評をしようとしているのではないが、見ていて奇異に思うことがあるので書いてみることにした。ドラマのなかで、戦闘中の日本軍の兵隊の頭がみんな長髪で、軍帽を脱いだシーンもあったが、今の若者の頭そのままである。

日本の陸軍軍人に長髪なんかはいなくて、軍隊に入るとみんな丸刈りにされたのである。

ある時期から、映画やドラマの軍人が長髪になってきていることに気づいてはいたが、時代考証などを大切に映画作りをするなら、監督は俳優の頭を丸刈りにすべきで、したくない俳優がいたら下ろすべきではないかというのが僕の見解である。でなければ坊主あたまのかつらをかぶせるべきか。だれも丸刈りにしたがらないので仕方がないなら、そんな映画作りはあきらめたらいいだろう。

ちょんまげをしていない時代劇とかがあり得ないように、長髪の二等兵も大将もいたはずはないのである。演出家根性も役者根性も失ったやからが、物まねの兵隊の映画を作っても、白けるだけである。

2011年2月15日 (火)

雪の昨日、高速道路を超低速で

 2月14日は楽健寺の天然酵母パンの営業日。二人の生徒さん、勝子さんと光弘さんが手伝ってくれて3時半ごろ、いつもよりやや早めに終わりました。といっても朝は2:30から仕事にかかっているので、ちょうど13時間余働いて終わったわけです。

終わってから、大阪王将へ入って、簡単な夕食。二人を地下鉄長田駅へ送って、楽健寺で家内の楽健法をし、東光寺へ向かったのが5時半過ぎ。

東大阪の高速入り口は閉鎖。

高速下の道路を走って松原の入り口へ。そこも大渋滞で1時間ほどかかってやっと名阪道路に入りましたが、高速道路も大渋滞していて、天理まで、3時間のろのろ運転となりました。東光寺へ帰ったのは4時間後の9時すぎ。ぼくの車はマニュアルなので、クラッチの操作にかなりくたびれました。こういう時はオートに限るなと痛感しました。

まだ乗り換えようとは思いませんが、今日は首と腰痛が発生しています。

昨日の疲れがとれず今は、とてっも眠いです。昼寝が必要かな。

2011年2月 6日 (日)

精華小劇場演劇祭 遊劇体公演の案内

http://www2.begin.or.jp/ytokoji/ric/ric.html 中島陸郎さんのページ

中島陸郎作 「蘇りて歌わん」 劇団 遊撃体公演 日時 3月3日~7日です。

宥厳さんは3月5日午後2時開演を観劇することになっていますが、公演の後、舞台で演出家のキタモトマサヤさんと小堀純(編集者)さんの司会で座談会に出ることになっています。公演案内のビラの裏面ですが、画像の赤印のところ。

クリック拡大してごらんください。

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この芝居は中島陸郎さんが、月光会が瓦解したことを題材に書いたルサンチマンの産物ともいうべき作品です。経済成長期の日本で、前衛芸術活動の純潔さを標榜しながら、それを擲って、時代の趨勢、マスコミに乗って仲間を裏切っていった劇団主宰者への許し難い憤りから書かれた、告発的な面もある戯曲です。しかし、冷静に自らを戯画化する物書きとしてのクールな自覚が、この作品を読み応えのあるものに仕上げています。

 レーゼドラマとも言うべきこの戯曲をとりあげた遊劇体のキタモトマサヤさんがどのような舞台に仕上げてみせてくれるのか、楽しみです。

精華小劇場 http://seikatheatre.net/play.html

 

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