« 楽健法双六が付録になった雑誌 | トップページ | 津波にお見舞いと追悼をささげます »

2011年3月 9日 (水)

ある芥川賞の書き出し

 今年は芥川賞が二人に与えられて話題になった。私はだれかが賞をとったからといってその作品を読むなんてことは習慣にないことで、興味もあまりないが、今月、文春をなにげなく買ったので開いてみると、受賞作品が掲載されていた。

「きことは」という女流作家の作品はすらっと読めたが、西村賢太の「苦役列車」というのを読みかけて、まず冒頭からなんだこれは?と書き方に抵抗を覚えた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「苦役列車」西村賢太 一  

曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

冒頭の一行が上であるが、曩時北町貫多の一日は、というのは何か、文脈から言えば、曩時北町というのがこの主人公の名字で、貫多というのが名前なのであろう。

曩時というのは、さきの時、という意味で書いているとすれば、文脈からは不要語で、なぜ作者がこの曩時という言葉をつかいたいのか、判然としない。曩時という状況のときに北町貫多がどうしたかという説明ならば、文章が破綻している。

あるいは曩時北町という町に住んでいる貫多ということならわかる。字足らずだが。

曩時北町が名字であると解釈するか、地名であると解釈するのがまっとうな読み方だろう。このようなめったに使わない言葉を冒頭に持ち出して、思わせぶりなのはぼくは好かないので、まだ全編を読み通す気分にならない。曩時とか後架とか使わずに、後架は便所と素直に書いたらどうだと思う。後架という言葉は禅寺の便所なんかを指して使うことばで、貫多が暮らすような薄汚いところでは、たんに共同便所で十分であろう。

思わせぶりな書き方は、文学的ということにならないのは当然なので、変な凝り方ではないかと思って一言するわけである。

平成23年3月11日(金) 追記します。

曩時北町ということについて、いろいろ考えてみたりしましたが、「字通・白川静」を調べてみましたら、 曩時 むかし と書いているだけで、広辞苑の「さきの時」でも意味が通じなくはないが、作者の意図は、「むかし北町貫多は、、、」と書いたつもりで、曩時という言葉を使ったようである。つまり昔々、というほどでもないので、昔というのに、曩時ということばをあてたようである。このように見慣れない表記をしたことに、作者の趣向を理解できなくはないが、審査員のみなさんは、このことを十分知り尽くしていて奇異とも思わなかったのかどうか、この件に触れて書くのはこれで終わりとする。

« 楽健法双六が付録になった雑誌 | トップページ | 津波にお見舞いと追悼をささげます »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1404289/39163683

この記事へのトラックバック一覧です: ある芥川賞の書き出し:

« 楽健法双六が付録になった雑誌 | トップページ | 津波にお見舞いと追悼をささげます »

最近のトラックバック

ウェブページ

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

題名表示

タイトル表示

  • タイトル