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2011年4月 1日 (金)

懲りない日本人は過ちを繰り返す

 1945年に日本は戦争に敗れ、戦争を引き起こした政治家、軍人たちは戦犯として裁かれ、死刑になったひとも少なくありません。しかし戦争責任がはっきりしていて、罪を認めた政治家や軍人はいなかったのではないか。彼らに責任はなく、裁判は不当でまちがっていたという論客もすくなくない。責任を負うひとがどこにもいないようなシステムを作り上げてことを起こすのが日本人の智慧なのだろう。

 戦争でいのちを奪われた日本の無辜の民は、政府のいうことを鵜呑みにして、従わされざるを得なかったのだ。神風が吹いて敵はかならず吹っ飛ぶというようなことを本気で信じこませてきたのが軍人であり政治家であった。如何なる悲惨がその後に展開し、どのようにして日本の常民が黙々とそれを乗り越えてきたか。

 いまTVを通じて国民に原発の安全を言い続けている政治家たちや資本家は、戦争責任をあいまいにしたまま過ごしてきた過去の責任を負うべき日本人とまったく同じ体質なのではないか。

 永遠に責任を負える人間などいない。

 原発の廃棄物は永遠の時間を要する問題で、自然には還らない。自然がもとに戻してくれないようなものを、短いいのちしかもたない人間はつくるべきではない。

 平和憲法を骨抜きにしてきた政治家たちは、いまこそ原点から思考して、原発も核兵器同様に、作らないという核発電放棄を世界に宣言する勇気が必要なのではないだろうか。

以下は、懐かしい未来のメーリングから得たリンクと声明です。

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一般社団法人ピープルズ・プラン研究所

  ピープルズ・プラン研究所は、
  民衆(ピープル)の目線でいまの社会を批判し、
  世界の人々と手をつないで
  「もうひとつの世界」をめざします。
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【声明】

福島原発事故――
いま私たちがすべきこととして、
政府と東京電力に要求する

2011年3月31日
ピープルズ・プラン研究所運営委員会

 3月11日に東日本で起こった巨大地震と大津波は、3万人を超えるとみられる死者と行方不明者を出す大惨事を引き起こした。一瞬のうちに犠牲となられた方々に、私たちは心から哀悼の気持ちを表わしたい。そして、いまなお30万人以上の人びとが避難先で、寒さ、不安、水や食料や医薬品の不足、家族や知人や家を失った衝撃に苦しんでいるとき、微力でも被災者への支援の責務を果たしたいと考えている。

 私たちも不安を感じている。今回の惨事を際立たせているのは、この地震と津波による広範で深刻な影響のうえに、福島原発が日本列島と周辺だけでなく、地球環境に対して予測不能の災害を起こしつつあることである。事態は進行している。原子炉は、高濃度の放射能を周辺に放出して広域にわたる土地・水・海・大気を汚染し、周辺の住民に、生活の糧を離れて避難するか危険を覚悟で留まるかの暴力的な選択を強いている。乳幼児や子どもをもつ人びとの不安はとくに大きく、農家や漁民が被る被害はすでに甚大だ。放射能の放出を止める現場の必死の努力が続けられ、一進一退が報じられているが、事態が急速に悪化し、破局的な状況を迎える見通しも排除できない。

 私たちは激怒している。事故原因者としての責任を果たしていない東京電力の経営陣に対して。この重大事態に政府としてとるべき責任を果たしていない日本政府に対して。報道機関としての責任を果たしていないマスメディアに対して。

 政府がなすべきことは現実逃避ではない。事態がいかに深刻であるかを把握し、起こりうる最悪の場合を想定して対策を立て、危険についての基本的な情報を系統的に明らかにし、状況全体を正直に知らせたうえで、地元住民をはじめとする市民の協力を求めることである。しかし、いま日本政府は、断片的な情報を小出しにし、全体として事態はそれほど深刻でも危険でもないという印象を広めることに終始している。主流マスメディアも、政府のこの殺人的ともいえる無責任に対して批判の目をもたず、原発推進派の「専門家」を出演させ、この線に沿った世論形成に足並みをそろえている。そうして一丸となって、避難対策や食料・水の安全性の確保といった根本的な問題で市民の不安を大きくしている。「ただちには」健康に影響はないという気休めの情報を、私たちは信じることができない。

 この原発事故が「想定外」の高さの津波によって引き起こされたように、防ぎようのなかった出来事であるかのように語ることは、許されない。これはまぎれもなく人災である。安全神話をふりまきながら地震列島の上に54基の原発を稼働させ、さらに新規の原発を建設しようとしてきた為政者の責任は重大である。政権の座にあった勢力は、原発の危険性を警告する地元住民や市民の声を無視し、あるいは押しつぶしてきた。そして今回の事故にいたっても、政府も自民党も、安全神話の上に立つ原発推進政策の過ちを認めようともせず、莫大な被害をあたえた地元住民に謝罪してもいない。

 それどころか、政府と東京電力は、福島原発の廃炉をためらって事故対策を遅らせ、有無を言わせぬ状況をつくり出し、その処理のために下請け・孫請けの労働者を駆り出し、まともな睡眠も食事も確保されない劣悪な労働環境のなかで被爆させ、命を賭けさせている。さらに政府は、原発推進政策の見直しを口にしながら、最も危険とされる浜岡原発の運転中止も、アジアへの原発輸出の中止も、すべての原発をなくしていく政策を打ち出すことも拒んでいる。

 この怒りを胸に、私たちは考える。福島原発の事故が明るみに出したのは、東京をはじめ大都市の住民の快適で便利な生活を支えるために、過疎の村や町の住民と原発で働く人びとに原発のリスクを負わせるという不公正な仕組みである。福島原発の破綻は、原発安全神話の崩壊とともに、このような不公正な関係の上に組み立てられた消費と繁栄、そのような文明の進み方の終点を示すものである。それは私たちに根本的な反省を要求する。原発政策は、快適で便利な生活の無限、無批判な追求を背景として推進されてきたのである。この終点から、私たちは別の方向へ歩み始めなければならない。原発事故の悪化の防止と収拾、地震と原発事故による避難者や被災者への支援と生活再建という当面の緊急の課題に続いて、大震災からどう立ち直るのかが中長期的な課題になるが、それは「元の生活」に戻ることではありえない。新しい生活のあり方を創造することが求められているのだ。

 私たちは、現在の危機のなかで、脱原発、そして脱成長の社会への転換をめざすべきことを明確に主張したい。原発に頼る社会と生活のあり方を根本的に変え、分散的で地域自給的なエネルギー供給のあり方を創りだし、ライフスタイルから働き方、経済のあり方を組み替えることをめざし、なんとかして未来を見いだしたい。

 私たちは、政府および東京電力が、何よりも当事者である被災地および福島原発周辺の住民の切実な声を謙虚に聞き、最低限の責任として次のことをすみやかに実行するよう要求する。

1. 政府は、いまなお水や食料品や医薬品、衛生環境、燃料の不足、心理的な不安に苦しむ大震災被災地の人びとに対する支援に全力をあげるべきである。そのために、

* すべての公的機関の要員と資材を被災地に投入すると同時に、地方自治体、民間企業、NGO/NPO、市民ボランティアとの協力・連携を強めること。

* 政府はその責任において、地方自治体の避難者受け入れの動きに連携し、避難生活の長期化を見越した住宅の提供や住宅再建への支援、仕事や稼ぎ手を失った多くの人びとへの所得保障、医療・カウンセリング・介護・子育て・教育の無料の提供などを含む包括的な支援制度を新設すること。

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