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2011年5月25日 (水)

「20ミリシーベルト高い」福島の保護者直談判 東京新聞記事 を考える

東京新聞記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011052402000030.html


 政府や東電が正確な情報を出していないということは、間違いなく正確な判断であろうと思われる。校庭の安全値を20ミリシーベルトにしたのは、基準が高すぎるといって国民に批判が高まっている。

福島県の <父母ら約七十人が二十三日、文部科学省を訪れ、設定の引き下げを求めて抗議し、「子どもを守るために被ばく線量のあらゆる低減策を」などと訴えた。事前に大臣ら政務三役に面会を求めたが断られ、同省庁内にも入れなかった。父母らには、渡辺格科学技術・学術政策局次長が応対した。> ということであるが、安全基準を20ミリシーベルトと高く設定している政府の基準を引き下げたとしても、現実に大地を汚染している放射能が低くなるものではなく、政府の予想としては、もっと高い汚染が予想されるので高めに設定しておいてそこで暮らしなさい、という決定の仕方であろう。

もし基準を1ミリシーベルトなどと決めれば、直ちに避難して、その土地は無人化しなければならないであろうというのが、政府の読みであろう。その基準にしたらもっと広範囲で暮らせなくなる市町村が増えることは間違いなく、高い基準値にしておけば、範囲は狭く押さえることができるという行政的な判断なのであろう。

現実には20ミリシーベルトよりも高いところに住んでいるのに、政府がそこの基準を1ミリシーベルトと基準を定めたら、住民はどう言う行動をとらなければならないのか。本当の安全ということを考えるならば、どんな犠牲を払ってでも住民は即座に遠隔地の安全なところに移住するべきである。政府もそこに住むことを許可するわけにはいかないであろうから、全住民の退去を強制しなくてはならなくなる。危険であっても、住民はいま住んでいるところを簡単に捨てることができないという事情をもっていて、そこを離れたくはない。離れたら暮らせない。
人々がその地で避難せずに暮らせるための基準として、将来起こるかもしれないことには蓋をして置こうという政策基準なのだという判断を住民はもつ必要があり、覚悟を決めて暮らしていくほかはない。

20ミリシーベルトとさだめたのは、高い数値の放射能の蓄積されることが見通されるので、より現実的な放射能値に近い値を決めたのであろう。

1ミリシーベルトに放射能を即座に引き下げる方法などはないからである。

子供の安全基準が政府の決めた数値で高すぎると思う父兄は、数値に不平をいうよりも、早くそこから脱出するべきで、文句をいって騒いでいるうちに、子供たちが内部被曝して10年後にはかなりの子供たちに癌が見られるようになることは確実である。

放射能は自分たちで計って、自分たちで行動をするべきで、基準値を下げてくれたら安心できるというものではないということだ。

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