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2013年10月に作成された記事

2013年10月26日 (土)

パソコンの筐底にしまってあったアーユルヴェーダに関する文献 追記しました

 アーユルヴェーダ研究会と、後に日本アーユルヴェーダ学会となった会の事務局を20年近くにわたってやってきたが、七〇歳になってから長年の学会の雑務はご勘弁いただいて楽健法の活動にしぼり、最近はアーユルヴェーダ研究に直接かかわることはほとんどしなくなった。アーユルヴェーダ関連の文献もそこそこ所蔵していたが、最近は必要としそうなアーユルヴェーダ研究会のメンバーに差し上げたり、東光寺へ来られたインド学の研究者に持ち帰ってもらったりして、いま文献はパソコンのなかにファイルとしていろいろ残っているのがある。以下のもそのひとつだが、昭和初期に出された古本をタイプしたものだが、原本が見あたらない。
 ここにアップしておくので、興味のあるかたはごらんください。アーユルヴェーダというものは、かなり昔から研究している学者もいたことを、この古本を手にして知ったので、アーユルヴェーダ研究誌に掲載できたらと思ってタイプしたものであるが、掲載はしなかった。この正確な旧かな旧漢字のタイピングは高峰靖子さんがやってくださったものです。

上記のように記述しましたが、本棚を探して原本を見つけました。昭和5年に雄山閣から出版された「東洋史講座」の第15巻です。
 論文は
   古代印度の文化  武田豊四郎
   東洋史に於ける 南北の對立 白鳥庫吉 
 という2篇が収録されていて、以下に引用しているのは、武田豊四郎の「古代印度の文化」のなかのアーユルヴェーダに関する部分の引用です。


   四種の續吠陀 

 これより三十二明中に於て四種吠陀の次に舉げられてゐる四種のウパヴェーダ(upaveda)について解説を試みよう。
 ウパヴェーダとは續吠陀(secondary Veda)叉は小吠陀を意味し、四吠陀に附隨してゐる一類の文學に與へた名稱である。
 しかし、前記の四吠陀が特定の書目を指してゐるのと異り、この四續吠陀なるものは四吠陀に從屬してゐる學科若しくは文學の四大分脉に與へた汎稱である。
 如何なる種類の文學が、この四大分脉中に列せられるのであるかに就き、印度古典の記述は一様でない。
 吠陀の諸學流に關する一著『チャラナ・ヴューハ』(Charana vyuha)には、四續吠陀の名稱及びその所屬に就いて次の如くに記してゐる。
(一)壽命吠陀(Ayur-veda,   the science of medicine)
        この續吠陀は梨倶吠陀に從屬する。

(二)射方吠陀(Dhanur-veda,   the science of archery)
        この續吠陀は耶柔吠陀に從屬する。

(三)音樂吠陀(Gandharva-veda,  the science of music)
        この續吠陀は娑摩吠陀に從屬する。

(四)武器論(Shastra-shastra,  the science of arms)
        この續吠陀は阿闥婆吠陀に從屬する。

 然るに『スシユルタ醫録』(Sushruta-sanhita)及びバーヷ・ミシユラ(Bhava-mishra)撰述の醫書『バーヷ・プラカーシャ』(Bhava-prakasha)等には、壽命吠陀を以て阿闥婆吠陀に從屬するものであると記してゐる。又ウェーバー教授(Albrecht  Weber)の名著『印度文學史』には、右の武器論の代りに實利論(Artha   shastra)を第四の續吠陀に數へてゐる。しかし、實利論は續吠陀以外の一學として三十二明中に舉げられてあるから、ウヱーバー氏の記述は不當であると思ふ。又印度の或書には工巧論(Shilpa-shastra)を第四續吠陀と認めてゐるが、この論も獨立した一學として三十二明中に列せられてゐるから、續吠陀中に數へないのが妥當であらう。
 尚他の印度古典には、築造吠陀(Sthapatya-veda,  the science of architecture)即ち建築學を以て第四續吠陀となし、美術工藝の守護神たる毘首羯磨天(Vishvakarman)即ち工巧天の啓示した聖學であると説いてゐる。吾人はこの異説にも賛同することが出來ない。又『シュクラ人倫學』第四章第三節第五十一條乃至第五十二條には、『梨倶、耶柔、娑摩、阿闥婆が諸の吠陀であり、壽命、射方、音樂、及び諸本續(Tantra)が諸の續吠陀である。』と説いてゐる。
 壽命、射方、音樂が續吠陀中に地位を占めてゐることには異論がないけれども、如何なる種類の學科若しくは文學が第四續吠陀であるかに關しては上記の如き諸説がある。恐らく武器論か本續かの何れかゞ第四續吠陀であらう。射方吠陀と武器論とを共に續吠陀中に列することも、幾分重複してゐるやうに思はれるから、本續を第四續吠陀とする『シュクラ人倫學』の所説が正當であるかも知れぬ。
 左には壽命、射方、音樂の三續吠陀と、第四續吠陀に擬せられてゐる武器論、本續の二學とに就いて略説を試みよう。
 壽命吠陀の梵名アーユル吠陀は、アーユス(ayus)に關する吠陀を意味する。アーユスには生命、活力、勇氣、健康、長壽等の諸義がある。されば壽命吠陀は、健康學(the science of health )醫療學(the science of medicine)生命學(the science of life)等を兼ねたるものである。この續吠陀を梨倶吠陀に屬すると認める一説も存するけれども、寧ろ醫療と特別の關係ある阿闥婆吠陀の一補充であるといふ別説の方が合理的である。佛典にはこの續吠陀の梵名アーユルを阿由と音譯し、且つ之に壽又は命の義譯を附してゐる。
 醫薬乃至長生を考究する壽命吠陀は、印度に於て古来聖學の一として尊重せられた所のものである。前に述べた如く阿闥婆吠陀の呪文中には、諸病及ぴ鬼病を除く除病呪文、健康長壽を求める延命呪文等があって、諸病、諸薬の名稱を舉げてゐる。壽命吠陀は阿闥婆吠陀の原始的醫學から發逹したものと考へられる。熱帯國たる印度は、吉來諸種の悪病に惱まされてゐる。マラリヤ、コレラ、ペスト等は、何れも印度に發源した悪疫である。
 大正五年度に於て印度人中から二十八萬八千四十七人の虎列刺病死者、四百八萬五千七百八十四人の熱病死者、二十四萬八千三百八十一人の赤痢病死者を出だしてゐる。
 印度には古來無數の病氣が存在してゐるが、これらの諸病を治療する薬劑も亦他國に比類なき程豊富であった。醫療學、薬劑學が夙に印度に發逹したのは當然である。印度醫學は醫方明の名の下に佛教徒の學習すべき五明の一に列せられ、壽命吠陀の名を以て婆羅門の研究すべき三十二明の一に數へられてゐる。亜歴山大帝が印度を遠征した時には印度醫を使役して蛇毒を治せしめたのである。印度には有害無害の蛇が數百種も存するから、希臘軍も蛇毒に惱まされたこと多大であったらう。和漢の諸の本草書には、印度産の薬劑が梵名又は譯名を以て多數掲げられてある。現代歐洲の醫學界に於ても、古代印度の醫方を參酌した點が多々ある。
 印度最古の醫典とも目すべき阿闥婆吠陀には、七十七の病名と、それらの治薬たる多くの金石草木とを舉げてゐる。
 阿闥婆吠陀に記せられてゐる病名中には、タクマン病(takman)ヤクシュマ病(yakshma)癩病(kushtha)等がある。ヤクシュマ病は、今日の肺病であらうと推定せられる。
 これらの例を見ても、壽命吠陀が阿闥婆吠陀から發展した聖學であることを知り得る。
 壽命吠陀に關する多數の著作は、印度の科學的梵文學の一部門として異彩を放ってゐる。又壽命に關する學術若しくは著作を、薬療明(Vaidya-vidya)薬療論(Vaidya-shastra)等と呼ぶこともある。
 古代印度の壽命論は、次に述べるやうな八分科(ashtanga)に分れ、八分醫方又は八醫と總稱せられてゐた。
 第一のシャリヤ(Shalya)即ち拔除醫方といふのは、身體に入って苦痛を惹き起こす所の投槍、投箭、槍、箭、矛、荊棘、木片、針等を抉出拔去する治術であるから、外科醫學の一部と目すべきものである。この醫法を拔除論(Shalya-shastra)と呼ぷこともある。後代の印度大醫ヴァーグバタ(Vagbhata)の醫書『八分醫方大集』(Ashtanga-hridaya-sanhita)の中にも、この拔除醫方を論じた『除去異物法』(Shalyaharana-vidhi)と題する一章がある。
 第二のシャーラーキャ(Shalakya)即ち利器醫方といふのは、利器(shalaka)を使用して眼耳等の諸病を治する一種の外科醫學であって、利器論(Shalakya-shastra)とも呼ばれる。
 第三のカーヤ・チキツァー(Kaya-chikitsa)即ち身病醫方といふのは、全身を冒した疾病に對する治術である。
 第四のブータ・ヴィディヤー(Bhuta-vidya)即ち鬼病明(鬼病醫方)といふのは、鬼憑(bhutopasarga)によつて生じたと印度人の信じてゐる諸の心病を除く醫方である。印度人は諸の鬼神をブータ(歩多鬼)と呼ぴ、諸の精神病はこれら諸鬼の影響に因つて起ると信じてゐる。印度の一醫書『シャールンガダラ醫録』(Sharngadhara-sanhita)の中には、鬼憑に因って生ずる二十種の狂病を舉げてゐる。又前記の『八分醫方要録』第六章には、この鬼病科論(bhuta-tantra)が説いてある。
 第五のクマーラ・ブリティヤー(Kumara-bhritya)即ち石看童法といふのは、胎兒、幼童、産婦等に對する看護學である。後に引く義淨法師の記事に據れば、印度にありては十六歳までの男子を童男(Kumara)と呼んでゐたやうである。
 又印度の古典には、十歳より十二歳までの少女を童女(Kumari)と呼ぶとも記し、或は十六歳まで或は月經初潮までの一切の處女を呼ぷとも説いてある。童子を意味する梵語クマーラは、『死にやすい』(easily  dying)といふ語原から出てゐるとの一説もある程、氣候の不順な印度に於ては幼兒を保育することが困難であつたから、小兒醫科たる看童法が夙に發逹したものであらう。
 第六のアガダ・タントラ(Agada-tantra)即ち悪掲陀薬科論といふのは、諸の薬劑特に諸の解毒劑に關する學である。印度に於ては醫學を悪掲陀吠陀(Agada-veda)と呼ぶこともある。
 第七のラーサーヤナ・タントラ(Rasayana-tantra)即ち長命薬科論といふのは、ラサーヤナ薬(Rasayana)に關する學科である。ラサーヤナ薬とは、不老不死の靈薬を意味する。
 第八のヴァーヂーカラナ・タントラ(Vajikarana-tantra)即ち強精薬科論といふのは、その名の示してゐる如く強精催春薬(aphrodisiacs)に關する學である。
 昔時印度を遍歴した大唐三藏法師義淨は、その撰述『南海寄歸内法傳』第三巻に於て、印度の八分醫方を次の如くに記述してゐる。
 『第三巻 二十七 先體病源 
 然西方五明論中、其醫明曰、當  察  聲色  然後行  八醫、如不  解  斯妙、求  順反成   違、言  八醫  者、一論  所有諸瘡、二論  針刺首疾、三論  身患、四論  鬼瘴、五論   悪掲陀薬、 六論  童子病、 七論  長年方、 八論  足身力、言  瘡事兼  内外、首疾但   目、有  頭齋咽巳下、 名爲  身患、 鬼瘴謂是邪魅、 悪掲陀遍治  諸毒、 童子始  從   胎内、至  年十六、長年則延身久存、足力乃身體強健、斯之八術、先爲  八部、近日   有  人、略爲  一夾、五天之地、咸悉遵修。』
 義淨法師の右の叙述は、簡明的確である。右の八分醫方は病源に應じて施す八種の治法である。
 又人體が風(Vayu)熱(Pitta)痰(Shleshman or Kapha)の三大(tridhatu)から成り、それらの不調和に因って風病、熱病、痰病の三病(tridosha)が起るのであるといふ説も、壽命吠陀系統の醫書が一般に採用してゐる所である。大とは駄都(dhatu)の譯語であって、身體構成要素(a  constituent  element  or  essential  ingredient  of  the  body)たる氣(humour)を指したものである。三氣中の風大即ち風氣(the  windy  humour)が増大して他の痰熟を壓伏する時には、風病を起こすのである。熱大といふのは、胃と腸との間に隠れ、肝臓内を循環し、脾臓、心臓、眼、皮膚に滲入する膽汁質の氣(the  bilious  humour)であって、熱がその主たる性質である。
 痰大といふのは、粘液質の氣(the  phlegmatic  humour)である。
 醫師たる者は、病氣に風、熱、痰の差別あることを知り、それに應じた治術を講じなければならない。
 大般涅槃經巻第二十五には、三病及びそれを治療する對症薬に就いて次の如く説いてゐる。
『譬如  良醫善  八種術、先觀  病相、相有  三種、何等爲  三、謂風熱水、風病之人、
授  之酥油、熱病之人、授  之石蜜、水病之人、授  之薑湯。』
右の文に水病とあるのは、即ち痰病のことである。前記の南海寄歸内法傳には、三病に關して次の如く記してゐる。
 『第三巻 二十八 進薬方法
 若依  俗論  病、乃有  其三種、謂風熱陰、重則與  陰體同、不  別彰  其地大、凡候
 病源、旦朝自察。』 
 陳天竺三藏眞諦の譯した印度數論學派(Sankhya)の要典『金七十論』巻上にも、次の如き記事が存する。
 『何物爲  三苦、一依内、二依外、三依天、依内者、謂風熱痰不  平等  故、能生  病    苦、如  醫方説、從  臍以下、是名  風處、從  心以下、是名  熱處、從  心以上、並 皆屬  痰、有時風大増長、逼  痰熱、則起  風病、熱痰亦爾、是名  身苦、心苦者、可 愛別離、 怨憎聚集、 所  求不  得、 分  別此三、 則生  心苦、如  是之苦、名  依内    苦、……一者八分醫方所説、能滅  身苦、二者可愛六塵、能滅  心苦  。』
龍樹菩薩造、後秦龜茲國三藏法師鳩摩羅什譯の『大智度論』巻第一に、『譬へば重熱の膩酢鹹の薬草飲食等の如きは、風病の中に於ては名けて薬となせども、餘病に於ては薬に非ず。輕冷甘苦澁の薬草飲食等の若きは、熱病に於ては名けて薬となせども、餘病に於ては薬に非ず。輕辛苦澁熱の薬草飲食等の若きは、冷病の中に於ては名けて薬となせども、餘病に於ては薬に非ず。』と説いてある中の冷病といふのは、前記の痰病のことである。又同論巻第十には、『二種の病あり。一には外の因縁の病、二には内の因縁の病なり。外とは、寒熱、飢渇、兵刃、刀杖、墜落、推壓なり。是の如き等の外患を名けて惱と爲す。内とは、飲養を節せず、臥し、起ること常なきの四百四病なり。是の如き等の種種を名けて内病と爲す。此の如きの二病は身に有りて皆苦なり。||聖人は實に身は苦の本にして、病まざる時なきを知りたまふ。何となれば是は四大合して身となる、地水火風の性は相宜しからず、各各相害すること、譬へば疸瘡の痛まざる時なく、若し薬を以て塗れば、少しく差やすことを得べきも、而も愈やすことを得べからざるが如し。人身も亦是の如く、常に病み、常に治す。治するが故に活きることを得、治せざれば則ち死す。』と説き、病氣に内的と外的との二種があり、内病は地水火風の四大の不調より起るものであって、其數四百四種あることを示してゐる。病氣に四百四種ありとするのは佛教の通説であって、婆藪跋摩造、陳天竺三藏眞諦譯の佛書『四諦論』第一巻等にも、四百四病のことが説いてある。其他後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯『摩訶般若波羅蜜經』巻第十九魔愁品第六十二にも『一切世間有  四百四病。』と記してある。又弥勒菩薩説、三藏法師玄奘譯の『瑜伽師地論』第十五巻には、印度の醫方明に就いての記述がある。
 印度の古傳説に依れば、諸神の醫師たるダンヴァンタリ(Dhanvantari)は諸神と阿修羅衆とが協力して乳海を攬拌した時、不死甘露(Amrita)を手にして海中から出現した醫神であるが、後に迦尸國(Kashi)のディヴォーダーサ王(Divodasa)として生れ、印度の醫方明を創始したと傳へられる。印度文學に於ては、ダンヴァンタリを醫主(Vaidya-natha)醫王(Vaidya-raja)等と尊稱してゐる。
 印度に於ては古來壽命吠陀の大家が輩出し、醫療、薬劑に關する幾多の名著を残してゐる。
 阿低利仙人(Atri)は梨倶吠陀讚誦の作家として有名であるが、その後裔の阿低離仙人(Atreya)は醫方に通達してゐた。
 馬鳴菩薩造、北天竺三藏曇無識譯の『佛所讚經』巻第一生品第七には『阿低利仙人、不  解  醫方論 、後生阿低離、善能治  百病 。』とある。
 阿低離仙人の弟子と思はれるアグニ・ヴェーシャ(Agni-vesha)フターシャ・ヴェーシャ(Hutasha-vesha)も、古代印度の大醫である。又ティーサタ(Tisata)といふ古代の大醫は、共に『醫療偈』(Chikitsa-kalika)と題した四百頌づゝの二醫典を造ったが、その一には『醫療偈註』(Chikitsa-kalika-tika)といふチャンドラタ(Chandrata)作の註解がある。このチャンドラタの名は『スシュルタ醫録』にも記せられてある。
 現存する古代印度の諸醫典中、最も組織的にして且つ最も價値あるのは、
『チャラカ醫録』(Charaka-sanhita)と其後に成った『スシュルタ醫録』(Sushruta-sanhita,Sushrutam)との二大作である。『チャラカ醫録』には、『チャラカ本典』(Charaka-grantha)『チャラカ科論』(Charaka-tantra)等の別名がある。『バーガヴァタ史話』(Bhagavata-purana)といふ梵籍の中には、醫聖チャラカに關する次の如き傳説を掲げてゐる。
 壽命吠陀の納受者たりしシエーシャ龍王(Shesha)は、嘗て地上を訪づれた際に、疾病が全地に充ちてゐるのを見て哀愍の情を起こし、終に疾病を輕減するため或仙人(muni)の子として化現し、醫聖チャラカとなって、醫方に關する一書を新作した。この醫書は、アグニ・ヴェーシャ仙の醫書及び阿低離仙の諸弟子の醫書を依據としたものである。チャラカなる名は、龍王が前に一種のチャラ(chara)即ち密偵として地上に來たことに由來したのであると。
 『チャラカ醫録』の註疏には、ハリチャンドラ(Hari-chandra)所造の『チャラカ科論釋義』(Charaka-tantra-vyakhya)、クリシュナ(Krishna)所造の『チャラカ醫録大疏』(Charaka-bhashya)がある。このクリシュナは『美辭甘露海』(Sahitya-suaha-samudra)といふ書をも撰した學者であって、ヒーラ・バッタ(Hira-bhatta)の父に當ってゐる。支那所傳に據れば、チャラカは迦膩色大王(Kanishka)の侍醫であるといふ。この王は紀元七十八年より一百二十年頃まで北印度を支配した英主である。獨逸のウエーバー氏は、チャラカを紀元五百五十年頃の人と認めてゐる。『チャラカ醫録』よりも後に成った『スシュルタ醫録』の作者たる醫聖スシュルタ(Sushruta)は、ヴィシュヴァーミトラ(Vishvamitra)の子であり、神醫ダンヴァンタリの子孫であると傳へられる。かれの醫録は六書より成り、古より今に至るまで『チャラカ醫録』と共に、多大の尊敬を受けてゐる。これらの両醫録は、共に豐麗な韻文で書かれたものであるが、往々散文をも混じてゐる。
 次には後世の印度醫書中で特に著名なものを舉げよう。
 前に舉げたヴァーグバタ所造の『八分醫方大集』は近代印度醫書中の白眉である。又これと伍する證典は、バーヴァ・ミシュラ(Bhava-mishra)所造の
『バーヴァ明解』(Bhava-prakasha)である。又迦濕彌羅國(Kashmira)のナラハリ學士(Narahari-pandita)所造の『薬物語彙王』(Raja-nighautu,Nighautu-raja,Abhidhana-chintamani)は幾多の薬草の名目を列記した最上の薬劑書である。
基督教以前に於て印度に存在してゐた植物學、動物學、生理學、化學、數學、等に關する考究は、優に古代希臘のテオプラタス(Theophratus)の一派及びアレキサンドリア學派等のそれに匹敵し得るものであった。殊に醫學と科學とを主題としてゐた古代印度の自然科學は、歐洲近代の諸大家の研究を凌駕する程進歩してゐたのである。古代及び中世の印度人が、自然科學の開拓に如何なる寄與をなしたかといふことは、世界文化研究者に取って最も興味の深い研究題目である。現代印度の碩學ローヰ氏(Roy)シール氏(Seal)等の諸教授は、この方面に關する該博な研究を發表してゐる。古代印度の醫學書を一見した者は、印度人が夙くより醫療の學術に通達し、諸病の原因と症候とを洞察する明眼を有し、殊に外科の治術に巧妙であったかに驚くであらう。古代印度人は、既に食養法の効験を知り、又人體解剖の價値を認めてゐたのである。但し、宗教的偏見のために解剖の實行は非常に妨げられてゐたやうである。
 又醫學と關係の深い化學も、古代印度に於て大に發達し、水銀其他の礦物を醫療に應用してゐたのである。種痘の方法も亦古くより印度人が知ってゐたやうである。
 古代印度の醫學が、希臘乃至亞刺比亞の醫學と史的關渉を有するか否かは、興味の深い研究題目である。
 古代希臘の大醫ヒポクラテスの醫書と、古代印度の醫聖チャラカの醫録との間に、或種の密接な類似の存することが近時發見せられた。或學者は紀元以前に希臘醫學が印度醫學に影響したらしいと推測してゐる。しかし、私は古代印希臘の諸醫學者が、自在に印度醫學を輸入したのに相違ないと信じてゐるのである。
 次に印度醫學は、紀元七百年以來亞刺比亞醫學に對して顯著な影響を與へてゐる。バグダードの回教王は、數部の印度醫書を亞刺比亞語に翻譯さしたことがある。第十七世紀に至るまで、歐洲の諸醫が權威と仰いでゐた亞刺比亞醫學は、その進歩を印度醫學に負うてゐたのである。又逆に亞刺比亞の醫書が、梵語に譯出せられたこともある。印度のマハーデーヴァ學士(Mahadeva  Pandita)は亞刺比亞の一醫書を梵語に譯出し、之に『ヒクマト明解』(Hikmat-prakasha)といふ題號を附してゐる。又この學者は、別に『ヒクマト光燈』(Hikmat-pradipa)といふ一書を造ってゐる。
 多くの佛教文學には、釋尊在世時代の醫王耆婆(Jiva)に關する種々な傳説を記してゐる。後漢安息國三藏安世高譯『捺女祇域經』一巻等も、耆婆のことを記した經典である。又佛教文學中に散見してゐる印度醫學の記述は、今後大に研究する必要がある。
           備 考 書 目
  (甲)印度醫方研究資料
(1) Royle; Essay  on  the  Antiquity  of  Hinda  Medicine, London, 1837.
(2) P.C. Ray; History  of  Hindu  Chemistry, London,  1902.
(3) E. Wilhelm; On the  Use  of  Beef's  Urine, L'ombay, 1889.
(4) T.A. Wise; Hindu  System  of  Medicine.
(5) Edmund  Hardy; Die  Vedisch-Brahmanische  Periode.
(6) Kawiraj  Biswas; On the  Ayurvedic  and  Yunani  System  of  Medicine.
(7) T.A. Wisc; Commentary  of  the  Hindu  Medicine.
(8) Prof. Brajendranath  Seal; Positive  Sciences  of the  Ancient  Hindus,1915.
(9) " Calcutta  Review", XIII. 217, Surgeens  in  India, Past  and  Present.

  (丁)追 録
 印度醫學と希臘醫學との歴史的關係の有無が、今猶十分に闡明せられてゐないことは前に一言した如くである。左にこの問題の研究に資すべき數點を追記して置かう。
 古代印度の醫學に關しては、獨逸國 の東洋學者ヨリ氏(Jolly)が既に熱心な研究を試みてゐる。印度醫學は阿闥婆吠陀に起原し、呪術、呪文の神験に依って治病を企てたのであるが、壽命吠陀系統の著作に至って多少の進歩を見た。然し、これらの古典には單に病名、薬草乃至原始的醫術等を記述してゐるだけであるから、醫學に關する科學的研究は未だ行はれてゐなかった。然るに佛教時代に入ってからは、印度醫方も大に進歩したと見え、古代希臘の史家ネアルカス(Nearchus)は希臘醫の知らなかった蛇毒に對する治法を、印度人 が熟知してゐたことを賞讚し、アリアン(Arrian)は婆羅門 の醫師が希臘人の如何なる疾病をも治療したことを激賞してゐる。但し、印度醫方が 科學的研究に到達したのは、基督降生時より少し以前であらう。紀元後第四世紀乃至第五世紀に於ては、印度醫方も十分な發達を遂げてゐたやうである。
 古代印度の醫學界の泰斗は、スシュルタとチャラカとの両醫聖である。史實の記録に乏しい印度のことであるから、かくも有名な両醫聖の年代さへ今猶不明である。ハース博士(Dr.Haas)はスシュルタを以て希臘醫學の始祖ヒポクラテス(Hippocrates, 460-359 B.C.)と同一視し、亞刺比亞語にてヒポクラテスをブクラート(Bukrat)ソクラテス(Socrates)をスクラート(Sukrat)と呼んでゐるが、亞刺比亞人の間にはブ字(Bu)をス字(Su)と誤冩する例が多いから、ブクラートを誤ってスクラートと記し、それが印度に傳はってスシュルタと變じたのであると説いてゐる。氏の所説が眞理であるとすれば、印度醫學は希臘醫學を移植したものに過ぎないことになるのである。然し氏の所論は牽強附會に近いやうに思はれる。
 又獨逸國のウェーバー氏(A. Weber)はハース博士と正反對に、印度醫典中に耶槃那人(Yavana)即ち希臘人を權威に舉げてゐないこと、印度大醫中に異邦人らしき名を有する者の無いこと、印度の諸醫典に使用せられてゐる度量衡が、希臘人と没交渉な摩掲陀國(Magadha)羯陵伽國(Kalinga)のものであること等を論據とし、希臘醫學の影響を印度醫學の上に認むることを得ないと論斷してゐる。
 漢譯佛典の記述に據って紀元後第一世紀頃の出世と推定せられる印度醫聖チャラカの醫録と、紀元前第五世紀の希臘古醫ヒポクラテスの醫書との間に存する多數の類似點が、若し偶然的暗合でないならば、印度醫學は夙に希臘醫學の影響を受けてゐたと斷定せねばならぬが、暗合か影響かは速斷し難い重大問題である。
 又紀元後第一世紀に出でた希臘大醫ディオスコリデス(Dioscorides)の醫書は、材料を悉く印度に仰いだのであるともいふ。
 又印度醫學と支那醫學との歴史的關係に就いても、猶未だ十分に探求せられてゐない。然し唐宋時代の支那に知られてゐた薬物を記した政和本草、明人李時珍が三十餘歳を費して集成した本草綱目三十九巻等の中に、印度原産の薬物が梵名又は漢名にて多數網羅せられてゐるのを見れば、支那の醫學が夙に印度醫學の影響を受けてゐたことを察し得る。恐らく漢譯佛典中に存する薬物、病名、療法等に關する豐富な記事が、支那醫學に種々なる材料を提供したものであらう。
 尚印度醫學と支那醫學との比較的研究を試みるには、右の本草綱目の外、金元時代の李景の『内外傷辨論』『脾胃論』、元時代の朱震亭の『格致餘論』『金匱鈎玄』『局法發揮』、其他神農本草經などを参照に資すべきである。
 支那醫學に關する歐洲學者の著述には、スミス氏(Frederick Porter Smith)の『支那の薬劑及び博物學』(Materia Medica and Natural History of China, for the use of medical  missionaries  and  native medical students, Shanghai and London, 1871)等がある。支那佛僧の著書中にも、印度醫方を引いて病理、薬物、療法を説いた例が多い。隋沙門吉藏撰、『金光明經疏』(全一巻)には、『病難有  四、一風二痰、三熱、四等分、此四種各有  三品  、一者可  治、此是新病四大猶強也、二者恒治不  差、此是四大過傷也、三者不  可  治、見  有  必死相  故。』と説き、以下に薬品を詳述してゐる。
 唐翻經沙門慧沼撰、『金光明最勝王經疏』巻第八には、『八術者、一者療  被  針刺  法、二療  破傷  法、三療  身疾  、即前四病、四鬼損、五中  毒薬  、六療  孩童  、七延  壽、八養  身。』とある。又印度醫典が、他の印度諸學の典籍と共に支那に傳譯せられたことは、開皇十七年翻經學士臣費長房上、『歴代三寶記』巻第十一譯經齊梁周の絛に、左の記事が存するのを見ても確實である。
 『五明論 合一巻[一聲論、二醫方論、三工巧論、四呪術論、五符印論、周二年  出]右一巻、明帝世、婆頭摩國三藏律師攘那跋陀羅、周言  智賢  、共  闍那耶  舎、於  長安舊城婆伽寺  譯、那舎崛多、闍那崛多等傳語、沙門智僊筆受。』
 この五明論が現存してゐないのは遺憾である。又支那佛典の中には、印度醫方史上に光明を投ずべき幾多の史料を含むでゐる。『大乗大悲分陀利經』(失  三藏名  350-432A.D. 譯)巻第七醫方施品第十六には、次の如き記事が存する。
 『我宜  集  釋梵護世  、餘天仙龍仙夜叉仙人仙  、為  饒  益衆生  故、造  現方薬 、我即以  神足  、往告  釋梵諸世天仙龍仙夜叉仙人仙  、有  山名  億迦毘羅鉢帝  、來  集其上頂石 陀遮羅迦大醫之處  、於  中造  説治  風水火諸大病  方  。』
 右の文中に 陀遮羅迦大醫とあるのは、ヴァーイディヤ(vaidya)のチャラカ大醫といふ意味であらう。ヴァーイディヤ即ち 陀とは、名醫を意味する梵語である。
 又釋尊時代の大醫にして佛教の外護者たりし耆婆が、北天竺得叉尸羅國(Takshashira)の姓は阿提黎(Atreya)字は賓迦羅(Pingala?)に就いて七年間醫道を學んだことは、四分律等に記してある。阿提梨なる大醫が存してゐたことは、前に述べた如くである。
 醫王耆婆の略傳はハーディ氏(Spence Hardy)の『佛教要覽』(Manual of Buddhism, P.238.)の中に記してある。又大唐三藏法師菩提流支奉詔譯『大寶積經』第四十八巻には、時縛迦大醫王即ち耆婆及び雪山の大醫毘伽摩に關する記述がある。又箜篌の發明者たる那刺陀仙(那羅陀仙)の名も、この經巻第一百二十廣博仙人會第四十九に記せられてある。
 一般の醫學の外に、獣醫學(Hayayurveda,veterinary science)等の如き方面も、古代印度に於て相應の發達を遂げてゐたやうである。

2013年10月17日 (木)

酵素風呂+楽健法講習会のご案内

 酵素風呂+楽健法講習会のご案内

 楽健法研究会・奈良イオンハウス共催

                高田節子先生担当

          楽健法講習会を開催します
 

 酵素風呂は、大きなプールに木材のおがくずを背丈ほどいれて、酵母菌でおがくずを醗酵させます。醗酵したおがくずは醗酵熱を出します。

 楽健寺の天然酵母パン作 りでも醗酵したパン生地が醗酵熱をだしますが、これと同じ原理です。
 酵素風 呂の醗酵熱は70度ほどにもなり、スコップで掘って、温度を調節して、砂風呂のように身体を埋めて もらいます。 
 酵母の熱と酵素の働きで、身体が芯からあたたまり、発汗し、身体をほぐしてくれます。
 酵素風呂のあとで楽健法をやりますととて もからだがほぐしやすくなり効果が倍増するのです。 
  
 

 講師 高田節子 楽健法 教師

       奈良イオンハウスで希望者に施療しているお馴染みの先生です。

  24回以上受講された方は楽健法本部から初伝允許授与 

    (初伝允許料が別途必要)


 (日程表下段参照 第二金曜日です)

9:30
から受付

 

10時から酵素風呂入浴 

1145分〜1230分 昼食 

13:0015:30 楽健法講習会 

受講料:1 万円 (酵素風呂入浴料とも、昼食付き)

定員:20人まで  

満員になったら締め切ります。

問合申込  電話090-9090-6067 高田節子まで

  または奈良イオンハウスの受付で直接お申し込みください。

 



会場:奈良イオンハウス  

住所: 奈良市鹿野園1191   

電話: 0742-23-4580     こちらでも受講申込受け付けます。



参加者の用意する物 
酵素風呂のあとは、汗がよく出ますので、タオルや着替えを用意する。
(楽健法をするときは、柔らかいパンツ、長袖の T シャツ、運動着、などをご用意ください。タオルを2枚、枕カバーとか汗ふきなどにご用意ください。)

 

日程は下段の日程表をごらんください。

2014年     指導 高田節子先生

1月10日(金) 2月7日(金) 3月7日(金) 4月11日(金) 

5月11日(金) 6月13日(金) 7月11日(金) 8月8日(金) 

9月13日(金) 10月10日(金) 11月7日(金) 12月12日(金)


その他楽健法や天然酵母パンに対するお問い合わせは下記の楽健法本部へ

=================================== 

楽健法本部・東光寺   

633-0053 奈良県桜井市谷381−1   

電話と電紙 0744-46-2410 携帯 090-4301-0228  

http://www2.begin.or.jp/ytokoji/

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