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2017年10月12日 (木)

奴隷の韻律とはなにか

奴隷の韻律とはなにか

             山内宥厳

 遂に、新しき詩歌の時は来りぬ、と島崎藤村が藤村詩抄の序文に書いたのは明治37年のことであった。万葉集以来、和歌、俳句、川柳などに親しんで日本人が行分けした詩を西洋の詩に触発されて書くようになった、その先駆けが藤村詩抄だという自負が感じられる序文である。

 藤村詩抄の詩の多くは後に小野十三郎が「詩論」で大きく打ち出した、「短歌的なものに対する一貫した抵抗の姿勢、、」で嫌悪した「奴隷の韻律」七五調で書かれている。

 小野の短歌的叙情の否定というのは、七五調に対する生理的な嫌悪感で、七五調の韻律で作歌する日本人の習性には、詩人としての視座、社会や自己の存在に対するメタ認識、批判精神が欠落して、流されるままに七五調の韻律で目先で捉えた風物を書き連ねる短歌的視座、短歌詠の習性の救い難さに向けられている。

時代の体制に無批判に迎合して、自己の置かれている場に闇の深淵があることにすら気付かぬまま七五調で風月を愛でる、そういうものは詩人などではないのだ、というのが小野十三郎の憤りである。

 藤村詩抄もほとんど七五調の韻律で歌われている。

 その後に多くの翻訳詩も出されたが、上田敏の海潮音にしても七五調の韻律に乗せて訳されているものが多い。ヴェルレーヌの詩も小野のいう奴隷の韻律の語調で訳され、君が代に感涙にむせぶ日本人の精神性にマッチして愛誦愛読されて来たのである。

 上田敏の訳は名訳であるが、音韻では五五五の歯切れ良い語調で抵抗なく日本人の心情に沁みてくる訳し方である。

落葉

            上田敏 『海潮音』より

秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。


げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

 たくさんの人が同じこの詩を訳しているが、永井荷風の訳だと

  秋の歌
秋の胡弓の咽び泣くもの憂き響きわが胸を破る。

鐘鳴れば、われ色青ざめて、吐(つ)く息重く 過し昔を思出でて泣く。

薄幸の風に運ばれて、 ここかしこ、われは彷徨ふ落葉かな。

      「永井荷風訳・珊瑚集―仏蘭西近代抒情詩選」(岩波文庫)
 同一の詩の翻訳も訳者がかわればおよそ様相を異にしてしまうが、短歌的叙情と小野が断ずる短歌の表現も現代詩の自由詩のような口語で詠ずることも、言葉にやや長ずれば自由に書き表すことが可能である。

 だが五七五七七というこの短歌の形式に則って書かずんば短歌にあらずという自負をもって作歌するのが歌人というものである。この自負を容赦なく叩くという形で小野の短歌的叙情は書かれる。

 藤村詩抄も七五調の韻律に支配されて、語呂よく愛誦すべき詩歌として呱々の声を上げたのだ。詩は青春の文学である、などと分明した口調で言われることもあるが、藤村も詩抄の出版後間も無く詩から離れて小説に専念する。

 あの韻律のなかでは描きえない突き上げる思想の欲求が、詩から訣別することになった理由であろう。
 人生の重圧を深く洞察し表現しようとする知性の要求に短歌的な奴隷の韻律では応えられないと判ずるのは、長編小説を書いた藤村ならずとも、時代に生きる欲求する知性の帰結だろう。

 短歌世界のボキャブラリーの貧しさや、花鳥風月を詠じて侘び寂びを嗜む茶人のような有り様では、人間は写せないのである。

 小野が短歌的叙情の否定とか、奴隷の韻律などと短歌的世界を評して激しい口調で論じたのは、明治維新以来、奔流となって流れ込んで来た西洋の精神文化、哲学や文学思想と無縁のところで、瑣末な生活の端々を詠じて、茶を点てたり紫煙を燻らせているような鈍感さに、詩人としての批判精神が嫌悪感を募らせたからに他ならないのだ。

 小野は「短歌的叙情」という詩歌論のなかに有名な「奴隷の韻律」をはじめ12篇の短歌についての論を書いているが、歌人からも反発や反論があって、短歌研究誌に、斎藤正二の批判的応答文も掲載され、これに応ずる手紙も「この短歌的なもの」という文で発表している。この当時の斎藤正二はまだ若い頃で、「斎藤君、私があなたに申しあげたことは平凡なことです。
詩でも短歌でももっと自分の生活にひきつけて考えましょうと云うことです。」と書いているが、小野はこう書いている。「あなたの短歌の音数律への愛は一つの生活実感であって、それによってあなたが生きがい感じているものだとすると、それを頭から否定し去ることは私にはできません。
そういうあなたに私が云えることは、短歌一般を奴隷の韻律と極め付けることではなく、私が実際に一篇の短歌をよんで、そこに奴隷の韻律を感じた場合の私の実感だけであります。」といようなやりとりを交わしたりしている。


 短歌的叙情の否定とか奴隷の韻律というような否定的な論が歌人の前に跳躍すれば、歌人にとっては面白からぬ礫を投げつけられているわけで、反発には論で応じることもできるが、小野の前に奴隷の韻律ならぬ短歌世界を展開させることが、最大の反論であろう。
 1946年に桑原武夫の「第二芸術論」が発表され、俳句が第二芸術だと断じて論争を巻き起こしたが、詩歌にしても散文にしても素人と玄人の区別が付けがたいのは、人間の技でなすものには、どのジャンルにだってあることだ。万葉集に収録された和歌にも、玄人と云えるかも知れぬ有名な歌人から無名の庶民まで幅広く集録されている。

 小野の短歌的叙情の論にも、桑原武夫の第二芸術論に通じる短歌を貶した見方が共通していると云えるだろうが、論ぜざるを得ない、無視看過できない文学精神の在りようを桑原、小野両者は云おうとしていたのだろう。坂口安吾は短歌俳句に第二芸術などという評価を下すことをナンセンスとしているが、桑原や小野の論について短歌や俳句、ひいては日本人の美意識について意識を持ち、美学することが、短歌を書こうとする多くの人がより深く環境や自己を観察して、批判精神を高めることに資すると私は考えている。

 小野が奴隷の韻律とまで云った、五七五調とは何か?

 短歌は三十一文字の短文詩であるし俳句では一七文字で超短文詩であり、この短詩になにを盛り込めるのかという問題だが、短歌は五七五七七という韻律を約束事としてきたし、俳句は五七五に季語が必須などという不文律があって、これを踏まえて生活のなかの感興を書き綴ってきたのである。

 七五調というのは、語呂良く流れるリズム感があって、五が六になると語感が淀んでしまう。五ではひっかからない流れが六になると淀んで流れない、そういう感覚が働くので、字余りとならないように言葉を身体のリズムで感じながら七五調を書いている。

 最近のFacebookに知人のKさんが猫のことや身辺雑記を俳句か川柳風に七五調でいろいろ書いていたので、どういう心境なのかなと思いつつ読んでいたら、つい最近の書き込みでは、(調子に乗って色々詠んでたら、ふと気づくと思考回路がすっかり五七五になってしまっていることに気づいた驚きを詠める)   

   恐ろしや 我が脳侵す 五七五
というのをアップしていて、苦笑したことであった。

 七五調でものを書くことに慣れてくるとつらつらと流れるように書き流す癖がついて、日常語であっても七五調の文脈で流してしまえるような癖がついてくるのである。Kさんがいうよう脳が侵されるとも云えるので、こういうことを小野十三郎は奴隷の韻律と表現したのであろう。


  奴隷にはなりたくはなし自由にはなかなか書けず歌に苦吟す


 これは七五調でいま一分もかからず書いたのだが、こういう作り方をするなら一晩で百の短歌らしいものを書くことは簡単な技である。
 短歌で哲学思想や人生の深い暗部をえぐるようなものが、滔々と流れるように書けるかどうか。短歌は奴隷の韻律という言葉を蹴返すだけの短歌というものが存在しうるのか、自分にそれが可能かどうか、などと考えてみるが、それは現代詩や散文で取り組むほうが賢明そうだ。

 日本の近代詩や現代詩は明治維新から以後に西洋文学の影響を受けて書かれるようになってきたので、藤村の詩集も七五調の韻律で、三十一文字を無視した行分けの形で書かれているのが多く、同時代やそれ以後の詩人や小説家の詩も翻訳詩も七五調に文語や漢語を入れて書かれたものが多い。

 七五調のリズムは古い日本人の音感として、谷川に流れるせせらぎの音のように、人間の生理に抵抗なく受け入れられるリズムなのであろう。いまでは歌うひともいないが都々逸なども短歌の韻律で歌われ、これらを忌避して奴隷の韻律だと批判するのは、人間の実態を見詰める詩人の批判精神には受け入れられないからであろう。

(2016年春に短歌誌「どうだん」に発表したもの)



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